6月9日、増田先生(101歳)の悲報を聞いて、走馬灯のようによみがえっています。当時、帯広測候所の存続運動で全国のすべての測候所(99か所)を廃止するという気象庁の計画が具体化していました。日本の食糧基地 である十勝地方の測候所がなくなるのは理解しがたい計画でした。帯広市はじめ、管内の自治体も廃止反対で動いていました。反対運動も山場、運動をさらに盛り上げようと考えていました。
前年の日本平和大会が横須賀であり、毎年講師をされている増田先生の分科会に参加して、帯広での講演をお願いしました。全気象労組の後押しもあり、2010年、実行委員会主催の講演会が実現しました。 前日には帯広市や記者会見、そして講演や交流会などをこなしました。 講演会当日に全国で帯広と鹿児島・奄美大島の名瀬の2か所の存続が決まったとの知らせが入りました。 増田先生は帯広は残ったとは言え、名瀬に比べても人員などで差があり、もっと拡充する必要があると理学博士らしく数字を示し、話されたので、運動につなげなければと思ったものです。
そのような出会いがあり、増田先生は最後の最後まで躍動的に多彩な平和活動を行っていました。学術会議会員でもあった先生ですが、菅内閣の罷免問題の署名など、先頭にたって活動されていました。要請があり、こちらも腕まくりして100筆集めました。先生は「100筆集めた人はいない」と大変驚かれていました。
昨年、能登半島地震後にいただいた年賀状が最後なりました。ご夫婦そろって100歳超えたと喜びにあふれていました。私にとっても100歳こえた方からの年賀状は初めてことでした。 ご冥福をお祈りいたします。
2025年6月11日 畑中惠美子